鎌倉Hi-surf(ハイサーフ)

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SUMBAWA Surf trip スンバワ サーフトリップ 

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夢の続き。。。4度目のスンバワサーフトリップ
もう1年以上の時が経ってしまったけど、ついこの前のことだったようにも思える。
コロナのコの字もなかった頃に計画を立てコロナ禍が始まったばかりの3月上旬、やばそうな雰囲気はあったが見切り発射で出発!
でも、あれよあれよと言う間に指数関数的に加速度を増すコロナ禍の中マレーシアなどを経由しないと帰れなくなる可能性すら浮上するくらい、
いろんな意味でぎりぎりで、でもいろいろガラガラだったりと裏を返せば完璧なタイミングの日程だった、まぁ、うまくいく時はいつもこんなもんだが。
この旅に出るちょっと前から読み始めた本、歴代の世界の本のベストセラートップ10に入ってる本だったので、、ちなみに1位は聖書、、、
興味を持って読み始めたんだけど、まさにこの本の内容をプチ実体験してきたかのような旅だった。
バックパックにこの本を入れて旅のお供に連れて行ったのも良かったのかもしれない。
ざっとどんな内容の本かというと強い意志を持って夢を生きると、、(夢とはやりたい事やり続けたい事)、、当然のように困難などが目の前に立ちはだかるが、
諦めずに、というか信念を持って夢を追い続けてさえいれば、やがて事はうまく流れ始め宇宙全体がその夢の味方をしてくれて実現へと導いてくれる、
人間の意識と宇宙は繋がっているのだから。。。といった感じの内容。
 
最高だった去年のガイドのアーウェンがリゾートを辞めてしまっていたが直接ガイドをお願いしてやってくれることになった。
さらにいいことに彼はリゾートのあるスンバワの隣の通り道の島、ロンボクに住んでいるのでロンボクからガイドを頼める。
リゾートのガイド無しプランで値段もトントン、いや、ロンボクで車付きのポーターを雇う必要がなくなった分安くなったかな、
運転の荒いドライバーもいるので、そこらへんもアーウェンで安心。
そしてさらにネックだったロンボク〜スンバワ間のフェリーや車での長い移動が、カーフェリーなどを使える事でスムースになり、
1ラウンド分の時間的余裕とその日のスウェルの向きやサイズによってロンボクとスンバワの波を知り尽くしたアーウェンが、
ロンボク〜スンバワ間で、その日最高と思われる場所に連れて行ってくれるという行ってみなければわからないワクワクのファーストラウンド付き。
ジャカルタのエアポートホテルに1泊して、朝1便のジャカルタ〜ロンボク間のフライトで時より窓の下で綺麗な筋になって並ぶ無人のスウェルを指をさして眺めながら
3人無言で興奮を押し殺すかのような満足げな表情を浮かべあったのを思い出す。
ロンボクの空港でアーウェンと1年ぶりの再会のハグをして、今日はリゾート前のトロピカルレフトがバッチリ決まってるはずだからリゾートに直行しようということで、
夕方のトロピカルでの最高のセッションに向けて出発!まずはロンボクの村やジャングルや田園風景を眺めながらのロングドライブ。
だが、田舎道に入って1時間くらい経ったところでトラブルが起きた。。。突然エンジンルームから凄い異音と煙を発してエンジンが止まってしまった。。。
30分〜1時間前にも2回ほど同じようなやばい音を立てていて、その度に不安に襲われてはいたんだけど、ついにその不安が現実へと。。。
音の感じからして何か重要な、、おそらくはダイナモか何かを回しているゴックベルトが切れた感じで、ちゃんとした修理工場に入れないと、
技術的にも道具や部品的にも俺たちの力ではとても直せるような故障ではないことだけは、はっきりと分かった。
。。。こんなところで、こんなタイミングで。。。ゴックベルトなんてものは基本的には何万キロも持つものなのだから、なんでこのタイミングで。。。
見渡す限り車屋のようなものはまるでない、、、というか、、、
サハラ砂漠とまでは言わないがそんなものを探す意味すらないような雰囲気の場所であることはみんな分かっていた。。。
終わった。。。少なくともトロピカルでの最高のファーストラウンドは失った。。。
いや、そんなもんでは済まないかもしれない。今日中にサーフリゾートにたどり着けるのか?いや、下手をすると数日失うのか?とか色々なことが頭をよぎる。
アーウェンがいるから傷は最小限には防げるだろうが友達を呼ぶにしてもこの距離感なんで、かなりの時間はかかるし、と、、、
なんせ、異国の地でのトラブルなんで自分の頭ではまったく想定ができない。。。アーウェンを見てもこれはヤベーことになったって顔をしてるし。。。
すると道の反対側から、にいちゃんがどうした?トラブルか?みたいな感じで話しかけてきた。
よく見ると、そのにいちゃんのいる場所の奥には屋根もないような場所だが壊れていると思われる車が何台か置いてある。
にいちゃんの手は油まみれで、俺たちの車のエンジンルームを上と下から覗き込み切れたベルトをチョチョイと外して、ちょっと待ってろ!
みたいなことを言ってベルトを持って原付でどっかに走り去っていった。
そう、日本人の感覚では全くもってそうは見えないが車が止まってしまったそこは、まさに車の修理工場の前だった!
1メーターもズレずにドンピシャで目の前!あと数百メーター、いや、数十メーターどちらかにズレていただけで、お互い気がつかないだろうし運命も変わっていたかもしれない!
最悪と思われる場所とタイミングで切れたベルトは実は最高の場所とタイミングで切れていたということだった、
合計で4時間以上にも及ぶロングドライブで、しかもほとんどが田んぼやジャングルしかないような道で、、、なんというミラクルだ!、、、
その場にいないと、どれほどミラクルだったかは伝わらないとは思うけど、、、
トラブルからものの30分もしないで新しいベルトをどっかからゲットしてきてくれて装着もしてくれて無事に出発できた。
この出来事が意味するところは、いい旅になるであろう予感、この旅は約束されているという感覚。
たとえば神様が裏で糸を引いているとするならベルトが切れるタイミングをほんの数日前か後にずらしてくれれば俺たちはトラブらずに済むが、知らぬが仏で、
この旅が神に見守られているというような感覚にはならない。1秒もズレずに、このタイミングでベルトを切ることによってのみ絶望感と感動をものの数分で味わうことができて、
確率的にはあり得ないようなミラクルが起きたことを体験し実感できた。そして予定通りのカーフェリーに乗れたのでロスタイムは0分! 
今回はウネリの向きが、ずっとリゾート前のトロピカルレフトに最適でサイズも一定して肩〜オーバーヘッドくらいあって、一切リゾートから出なかった。
他のポイントに行くのもワクワクして楽しいけど、このリゾートは食べ物も飲み物も美味しくバリエーションも豊かで
ロケーション的にも最高にリラックスできるので、ずっとリゾートに居られるのは、それはそれで楽だし最高に快適だった。
朝起きると、そこにはいつでも最高の波と美味しい食事と飲み物と美しい自然が広がる最高にリラックスできる空間がある、まさにパラダイス。
そしてやはりファーストセッションが1番サイズがあり波は最高だった。写真には残ってないけど心には1番強く残るセッションになった。
 
スケール感はいきなり巨大になってしまうけど物理学の話、、、宇宙論では
さまざまな初期条件や定数を厳密に計算して算出すると宇宙に地球のような生命体が発生、存在できる惑星が誕生する確率はほぼゼロと言っていい確率らしい。
太陽系だけ考えても、計ったかのようにでき過ぎてる数値などがたくさんあるが、分かりやすいところで言うと四季などを作り出している23度の地軸の傾きや、
生命の誕生や活動に必要不可欠な潮の満ち引きというリズムを創り出している月の存在とその大きさや地球との最適な距離。
宇宙全体の話だと、光速が秒速30万キロであることや万有引力定数が6,67であること、、、ミクロからマクロまで言い出したらキリがないがこの手の数百もの、
いや細かく言うともっとかもしれない宇宙の定数などの初期条件が完璧に揃って始めて生命の誕生が可能になるという。
ピンと来ないと思うので1つだけ例を上げると太陽よりはるかに大きな質量を持つ星を青色巨星というが、その青色巨星は、その内部で核融合反応が急速に進むため寿命がごく短く、
逆に太陽より小さな赤色矮星は長寿命だが温度が低すぎて十分なエネルギー放射ができない。
我々の太陽のような大きさ、質量の星だけが適度の寿命を持ち生命の進化に必要な時間や条件を与えてくれる。
だが実際には、このような都合の良い恒星が生まれるためには星を内部から支える放射圧と星が自重で収縮しようとする力が
非常に微妙なところで均衡をとってくれなければならない。
もし重力が現在の値よりも10の40乗分の1(ゼロが40個!)だけ強いか弱いかするだけで、たちまちこの絶妙なバランスは崩れ、
この宇宙には青色巨星か赤色矮星しか存在しなくなるという。
まさに重力定数の大きさは確率的にはあり得ないような偶然(必然)によって、われわれのような生命体を生み出すのに最適な大きさに定まっている。。。
同じように電磁気力や核力などの宇宙の基本定数が生命にとってあまりに都合のいい数値に収まっている例は他にも数多く、あげたらキリがない。
まるでわれわれを誕生、存在させるという至上目的を達成するために特別にあつらえられたとしか思えない値に定まっているのは偶然のなせる業(わざ)ではない。
これはもう我々知的生命体をこの宇宙に生み出すための完全なるオーダーメイドであるとしか言いようがない。
これを宇宙論ではファインチューニングと言っている。
物理学、宇宙論においては有名なたとえ話だが25mプールに小さなネジまでもを全てバラバラにした目覚し時計を投げ込み大きな棒で1度だけプールをかき回し、渦の中で、
たまたまその目覚し時計が元通り組み上がってしまうのとほぼ同じ確率だそうだ。。。1度どころか無限にこの作業を繰り返したとしても、やはり普通に考えて不可能だ。
ただそれは作為的な力が何も働かない場合の話で、この宇宙の何か偉大な力が、その作為的方向性をもたらしたと考える最先端理論物理学者は驚くほど多い。
というか確率的にありえないミラクルよりも、、、一般人よりもこのミラクル度合いがリアルに計算できるだけに、、、
我々を誕生させるべくしてこの宇宙は作られたと考える方がまだ自然だし辻褄が合うことに気づかされていったのだろうと思う。
そんな流れから生まれた理論が人間原理という考え方で、先日亡くなった車椅子の天才物理学者のホーキング博士も独自の人間原理を唱えていた。
 
人間原理という宇宙論の考え方を聞いた事があるだろうか? 量子力学の分野にも足を踏み入れてる理論なのでググってもなかなか分かりにくいかもしれないが、
簡単にこの理論の結論だけを言ってしまうと今言ったように宇宙は人間のために作られた!
人間が宇宙を今の姿として観測したから時間をさかのぼって宇宙が人間の誕生に最適な形で全ての初期条件が整うようにビックバンが起きた! という事なんだけど。
は〜?とほとんどの人が思うような、SFでもなかなか出てこないようなこの結論を最先端の数多くの科学者たちが大真面目に結論づけている。
この理論をある程度理解するには時間軸は一定でも一方通行でもないという物理学的事実と、
人間の意識は波動でありエネルギーであるとういことを念頭に置かないとピンとこないだろうけど。。。
(時間はブラックホールなどの強い重力場や光速に近いような超高速ではゆっくり進むことをアインシュタインが100年前に証明した。
ちなみに(相対性)理論上は光速で移動する乗り物に乗ると時間は止まる。物体は速度が上がると縮み光速に達すると点になる。)
人間原理においての理論上は人間の意識がそれをもたらしたということなんだけど、
要は、そのファインチューニングを施した我々人間には感知できない何かが存在する。そして人間の意識と連動するようなシステムがこの宇宙にはあるということとも取れる。
人間原理というよりは、俺はそのように感じ取ってしまう。全知全能の神と言ってしまえばそれまでだし、うさんくさくもあるが、、何か想像を絶するような偉大な存在。。。
感性が高い人は直感的に、、なんとなくでも、そんな存在を感じながら生きているだろうけど何なのか、どのような存在なのかは、ほとんどの人がイメージできてない。
アインシュタインも神という言葉は好きで、
我々には感知できない偉大な存在という意味で神という言葉をよく使っていたが人格を持つような神や、宗教的な意味合いの神の存在には否定的だった。
自然にというか単なる偶然でこのような宇宙が出来上がる確率がほぼゼロなのだから人間をはるかに超えるような存在がこの宇宙を創造したと仮定すると、
それを普通の人間が感知し、知覚し、理解することはできないということくらいはちょっと考えれば容易に想像できる。
でも、人間は感知できないものはないものとし、科学の進歩で全てが説明できるかのような錯覚に陥っている。
でも実は科学の最先端に立つ理論物理学者達ほど、そんな錯覚に落ちいったりはしていない。
 
昔、確かニュートンか何かの別冊で最新宇宙論という一冊の本のアインシュタインの宇宙に関する予言という記事に惹かれて読み出して、
新たな発見や観測技術の向上などによりアインシュタインの宇宙の未知の予言的部分を検証するみたいな記事だったと思うけど、
その記事に興味を持って読み進み特に時間や空間に関する物理学的、数学的発見も最初はイメージや想像から始まるということも知り、
なぜ地球にしか存在したことがないのに地球環境とは、けたたましく違うブラックホールなどの宇宙空間の正しいイメージを想像、空想することができるのかと。。。?
そして正しい空想だけにとどまらず数式として表現し証明してしまった。。。
天才という言葉はこの人のためにあるんだなと思い感動し、(天才を通り越して変態と言っても過言ではない)かなり面白かったんだけど、
別の人間原理の記事(というかその背景にある物理的事実)の方に引き込まれ、そして心を奪われた。
この事実を知ってしまってから、宇宙観、世界観、人生観が変わった。。。
今まで自分も含め普通の人々が思っている今の常識的な世の中や宇宙に関する考え方とらえ方が間違いだらけであることに気づかされてしまったからだ。
と同時に今まで漠然と疑問に思っていたり、矛盾を感じていたたくさんの物事の正しいとらえ方、考え方が分かってきた。
構造的に根本的な違いがあると。まるで天動説を信じて疑わない時代から地動説が生まれてきたときのようなことが自分の中で起こってしまったかのような。
真実は何なのか?どこにあるのか?どうすれば到達できるのか?。。。
真理の追求。。。確か20代前半くらいの時だったと思うけど宇宙の、この世の真理の追求が人生における第1テーマになった。
ただ、感覚的には、、、今思うとそのことについて調べたり考えたりしてる時よりも、何かに夢中になっている時の方が真理には近づけてるような気もする。
俺はウインドだったりサーフィンだったり今はフォイルだったりするけど、、、頭で考えるのではなく、あくまで感覚的な感触だけだけど、、、
そんな時に少し宇宙や真の自分と(というか自分ではない何かと)繋がれてるような近づけてるような感覚が、たまにある、
俗に言うゾーンと呼ばれる心理状態に入っている時に多いような気がする。
その時の直感、インスピレーションからくる感覚をいかに失わないでいられるかというところが、いろんな意味で大事なような気もするし、大切にしたい感覚。
でも、その感覚は儚く失いやすい。。。その瞬間はあんなにもはっきりと覚醒しているのに。。。
そして、いつも何かに夢中になって生きてきて、人生とは創造であるという側面に気付き、1つの結論にいたった。
なりたい自分や到達したいところをイメージしながら、そこに向かって生きるということ、
ポイントはなりたがっている自分ではなく、なりつつある自分、なっている自分をイメージする事。
(なりたがっていたらいつまでたってもそこにいるのは、なりたがっている自分でしかない)
(欲張るとろくなことがないというのも、そういう真理とつながっているのかもしれない)
何も考えずに日々に追われて漠然と生きるよりも、はるかに価値のある生き方だと思う。
小さなことでもいいから、そんな風にこれからの人生も創造していけたらいいなと思う。
SUMBAWA Surf trip  スンバワ サーフトリップ 
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